魂の役割を果たす~娘の命日という時間~
自己紹介の記事にも書いてるけど、
私は22歳の時に2歳8ヵ月の娘を亡くしてます。
(以前のブログから)
その娘の命日のために今回、神奈川に帰ってきて。
前半は比較的家族と過ごす時間を多くとっていました。
命日は毎年、お墓参りとお世話になっているお寺さんにお参りするのだけど、
お寺さんではいつもは住職さんは外に出てる事が多く、なかなかタイミングが合わずに逢えないでいた。
それが、今年は数年ぶりに住職さんが偶然滞在してて。
お話をする時間ができた。
その中で、娘は今でもたくさんの人たちを救っているんだという話を聞いたの。
住職さんは相談や法事とか講演とかでお話する時に、娘の話をよくしているそうで。
それを聞いた人たちの反応は、何か大切な事を思い出したかのようらしく。
私が娘の話をしてもいろんな人がいろんな反応をする。
でも、娘が生きていたという、存在していたという証じゃないけど。
私だけじゃなく、他の人からも娘の存在はちゃんとあったんだと示されたという感覚。
とても嬉しかった。
娘の姿は亡くなったけど、私の中にも他の人の中にも生きてると感じた。
さらに。
娘は死後、ものすごい大きな役割を果たしているようにも感じた。
たくさんの人たちに自分の体験を語ってもらう事で、たくさんの人たちを救っている。
生前は3歳にもなってない小さな身体だったけど。
とっても大きくて明るくて強い魂。
そんな娘を産んで本当に良かったと改めて感じた。
✱✱✱
いつもは命日前後で私は落ち込む日々に襲われる。
それが今年は来なかったから、10年という節目を去年越えて私の中でもなにか昇華されたと思っていたけど。
神奈川来る前はマルシェで忙しく、
神奈川滞在中は人と一緒にいる日々が続き。
今になって猛烈な寂しさに襲われる。
娘にもう1度逢いたいとか、お話したいとか、抱きしめたいとか。
これを書いていたら涙まで出始めた。
空港なのに。。。
やっぱり来るんだね。寂しさは。
それも含めて、今の私なんだよね。
『ママの天使』と呼んでいた海弥(みや)
存在が見えなくなっても、私の宝物♡